応援メッセージをお引き受けしながら、僕のような無名の一市民がというためらいもあってぐずぐずしているうちに、選挙戦の後半になってしまいました。 申し訳ありません。 メッセージはともかく、FBで応援と思い、やっと昨日からTLに応援記事をアップし始めたのです。 タグ付けをしたのですが、その後シェアを試みたりして、かえってご迷惑をおかけしてしまいました。 また、本当に遅ればせなのですが、気を取り直して応援メッセージを書いてみました。 後で僕のTLには載せようとは思っていますが、一応お送りします。HPにアップされるかどうかの判断はお任せします。 ともあれ、当選されるのを心から祈っています。 頑張ってください!                * 新妻さんの独創的な発想力と常人には及ばない行動力を見ると、我田引水で恐縮ですが僕はつい曽祖父の半谷清寿(はんがい・せいじゅ)のことを思ってしまいます。 清寿は幕末に現南相馬市小高区で郷士の家に生まれ、近年「東北開発論」の古典とも評されている『将来之東北』(1906年)を著した、実業家・大農場経営者・政治家でした。小高では、酒造業から養蚕技術の改良、羽二重工場と珪砂工場、銀行などの起業に転身し、県会議員も務め、明治初年に一時中止になった相馬野馬追祭りの再開にも奔走しました。 1900年には双葉郡の現富岡町夜の森に広大な原野を買い求め、果樹栽培も取り入れた近代的大農場建設の開拓に取り組み、その記念と農事暦のためにソメイヨシノ300本を並木として植樹しました。これが後に、夜の森を桜の名所にすることになったのです。 1912年からは衆議院議員を3期務めていますが、自由民権のあの河野広中の地盤を引き継いだのだと聞いています。 未曾有の原発事故は、清寿の曾孫として僕が6歳まで生まれ育った夜の森を、残酷にも再び無人の地に返してしまいました。 新妻さんも、実はその夜の森で生まれたのでした(生後間もなく相馬市に移られたそうです)。 その新妻さんが、30歳で東京の出版社をやめ、なんと単身アフリカに渡って5年間暮し、その体験から今ではエチオピアの壮大な緑化を成し遂げたプロジェクトを独力で立ち上げたのです。 しかも、震災直後には相馬市議会議員選挙に立候補して初当選し、市民と県政を結ぶために活躍されながら、「東北お遍路プロジェクト」「ふくしま市民発電」「伊達と相馬の合戦フェスティバル」など、独創的なプロジェクトを次々に立ち上げてきました。 それらのことの詳細を、僕は今年の1月に上京された新妻さんから直にお聴きして、感動し圧倒されました。 そして思ったのです。 もし曽祖父の清寿が今生きていたら、きっと新妻さんのように発想し、行動したのではないか。 いや、それは新妻さんの稀有な発想力と行動力を、県会議員として、さらには中央政界においても発揮していただきたいと願う余りの、僕の単なる願望です。 新妻さん、まずは今回の激戦を制して自民候補を打ち破ってください! お願いします!